
病気を治すためだけに、
香りがあるのではありません。
不安な時間。
眠れない夜。
家族と過ごす静かな時間。
その人が、その人らしく過ごすために。
アロマテラピーにできることを考えます。
なぜ私は、アロマテラピーで緩和ケアに取り組むのか
愛する家族、大切な人が苦しんでいるとき、
私たちは「何かしてあげたい」と思います。
痛みを少しでも和らげたい。
不安な気持ちを少しでも軽くしてあげたい。
穏やかな時間を過ごしてほしい。
けれど私は、こちらの思いで相手を変えようとすることが、
寄り添うことだとは思っていません。
香りで人を支配するのではなく、
香りが本来もつ力を借りて、そっと寄り添う。
それが、私の考えるアロマテラピーです。
人は、言葉を交わすことが難しくなっても、
「触れる」というコミュニケーションを残しています。
そっと手を握る。
背中に手を添える。
手のひらで、やさしく触れる。
言葉にならなくても、その手から、
「私はここにいるよ」
「あなたを大切に思っているよ」
という気持ちを伝えることができます。

触覚と嗅覚は、身体だけではなく、
私たちの記憶や感情とも深く結びついた感覚です。
懐かしい香り。
大切な人の手のぬくもり。
そこには、薬とは違うかたちで、
人に寄り添える時間があります。
アロマテラピーは、香りを楽しむだけではありません
「アロマ」と聞くと、
いい香りを楽しむものと思われるかもしれません。
でも、アロマテラピーの世界は、
実はもっと、もっと深いのです。
「アロマ」は芳香。
「テラピー」は療法。
アロマテラピーでは精油だけでなく、
ハーブウォーターや植物油など、
芳香植物から得られるさまざまなものを用いて、
心と身体の健やかさを支えていきます。
眠れない夜。
身体が弱っているとき。
痛みや不快感を抱えているとき。
足のむくみがつらいとき。
肌に不快感があるとき。
そんなとき、植物の力を借りながら、
その人が少しでも心地よく過ごせる方法を考える。
治すことだけではなく、
その人のそばで、その人らしい時間を支える。
私は、そこにもアロマテラピーの大切な役割があると考えています。
母の手に触れながら
母が点滴治療を受けていた頃、
手のひらが赤く腫れ、触れるだけでも痛がることがありました。
おそらく静脈に炎症が起きているのだろうと、
私は心配しながら、その手を見ていました。
そのとき思い出したのが、
アロマテラピーで学んでいたヘリクリサムという植物でした。
私は母の状態を見ながら、
ヘリクリサムの精油をケアに取り入れました。
そして日々、母の手に触れながら様子を見ていきました。
やがて、つらそうだった手や点滴痕の状態が、
少しずつ変化していくのを、私は自分の目で見ました。
これは、医療的な治療効果を証明する話ではありません。
私にとって大切だったのは、
苦しんでいる母を前にして、
「私にも、母のためにできることがあるかもしれない」
と思えたことでした。
植物について学んだ知識と、
母に触れる自分の手。
その二つが、このとき初めて、
私の中で「緩和ケア」としてつながったように思います。
苦しんでいる母を前にして、
ただ見ているのではなく、
自分の手で触れ、植物の力を借りながら寄り添う。
それは、私にとって
とても大きな経験になりました。
そして私は、
ケアすることは何かを「してあげる」ことだけではないと感じました。
触れることそのものが、
大切な人とのコミュニケーションになる。
そう教えてくれたのも、母でした。
人生の最期まで、その人がその人であるために
緩和ケアは、
人生を諦めるためのものではありません。
その人が、その人らしく、
今を生きるためのケアです。
人には自己決定権があります。
それは人生の最期まで大切にされるべきものだと、
私は考えています。
治そうとする前に、その人を見る。
何かを押しつける前に、その人の声を聴く。
そして、言葉を交わすことが難しくなったなら、
そっと手を添える。
必要なときには、
植物からいただいた一滴を、そこに添える。

私はアロマテラピーを学び、
兄に、そして母に、実際にケアを行ってきました。
そこで私が感じたのは、
植物の力だけではありませんでした。
手に触れる。
肌に触れる。
相手の呼吸を感じながら、ゆっくりと時間を過ごす。
触れ合うことで、言葉だけでは届かなかったところまで、
心が近づいていく。
アロマテラピーは、私にとって
大切な人を「治すための技術」だけではなく、
大切な人と、より深くつながるための時間でもありました。
人生の最期まで、
その人が、その人であるために。
私はアロマテラピーで、
その時間に静かに寄り添っていきたいと思っています。
